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東京高等裁判所 平成9年(行ケ)36号 判決

フランス国F93230ロマンビル・ルート・ドゥ・ノワジ102

原告

ルセルーユクラフ

代表者

ジャン・クロード・ビエイユフォス

訴訟代理人弁理士

倉内基弘

風間弘志

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 伊佐山建志

指定代理人

吉村康男

深津弘

後藤千恵子

小林和男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成7年審判第1905号事件について、平成8年9月18日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文1、2項と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、1979年9月21日にフランス国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和55年9月19日にした特許出願(特願昭55-129369号)の一部を分割して、昭和60年9月18日にした特許出願(特願昭60-204579号)の一部をさらに分割して、平成3年9月12日、名称を「LH-RH又はアゴニストを用いる新規な治療用薬剤」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(特願平3-260467号)が、平成6年10月19日に拒絶査定を受けたので、平成7年1月31日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を平成7年審判第1905号事件として審理したうえ、平成8年9月18日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年11月13日、原告に送達された。

2  本願発明の要旨

次式(Ⅰ)

p-Glu-His-Trp-Ser-Tyr-X-Y-Arg-Pro-Z(Ⅰ)

[ここで、Z=-NH-C2H5

Y=Leu

X=D Trp、D Leu、D Ala、D Ser(tbu)、

D Tyr、D Lys又はAla]

のペプチドを有効成分として含有することを特徴とする、哺乳動物における前立腺腺癌の治療用薬剤。

3  審決の理由の要点

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明が、いずれもその優先権主張日前に頒布された刊行物である「ホルモンと臨床」(1977増刊号下巻、昭和52年3月発行)の748~750頁(以下「引用例〈1〉」という。)、「Fertility and Sterility, Vol.30, No.6,1978」の674~678頁(以下「引用例〈2〉」という。)及び「Acta Endocrinologica Supplementum 208、1977」の33頁(以下「引用例〈3〉」という。)にそれぞれ記載された事項に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由中、本願発明の要旨の認定、引用例〈1〉の記載事項の認定中「前立腺癌に対して去勢、エストロゲン剤併用による・・・制癌効果をねらったものであること(748頁)が記載されている。」(審決書4頁下から4行~5頁3行)との部分、引用例〈2〉、〈3〉の各記載事項の認定、本願発明と引用例〈1〉記載のものとの対比のうち、「引用例〈1〉に記載の『睾丸アンドロゲン』は、”睾丸から分泌される男性ホルモン(アンドロゲン)”の意味であって、本願発明の『睾丸ステロイド』とほぼ同義であり、引用例〈1〉に記載のものも当然ヒトを治療対象とする」(同6頁下から5行~末行)こと、及び相違点として認定された点は認める。引用例〈1〉の記載事項のその余の部分、本願発明と引用例〈1〉記載のものとの一致点の認定、相違点についての判断、本願発明の作用効果及びその予測性についての認定は争う。

審決は、本願発明の技術内容及び各引用例に記載された技術内容を誤認して、本願発明と引用例〈1〉記載のものとの一致点の認定を誤るとともに相違点を看過し(取消事由1)、さらに相違点についての判断を誤り(取消事由2)、本願発明の作用効果を看過した(取消事由3)結果、本願発明が引用例〈1〉~〈3〉に記載された事項に基づき当業者が容易に発明をすることができたとの誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  取消事由1(一致点の認定の誤り及び相違点の看過)

審決は、本願発明と引用例〈1〉記載のものとが「睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する、哺乳動物における前立腺癌の治療用薬剤である点」(審決書7頁1~3行)で一致すると認定したが、この一致点の認定自体誤りであるとともに、相違点を看過するものである。

(1)  本願明細書(平成7年3月1日提出の手続補正書による補正後のもの、以下同じ。)には、本願発明の薬剤の鼻内投与により誘発された睾丸ステロイドの産生レベル、特にテストステロンの周期性の減少、及びステロイドの投与後3日間の血清中の量の低下が記載されている。具体的には、「健康良好な男性の場合」として、「500μgのD Ser(tbu)6des Gly10LH-RHエチルアミドの鼻内投与は、ステロイドの量の日中周期性の変化を生じた。処理の日では、プレグネノロン、17-OHプレグネノロン、プロゲステロン、17-OHプロゲステロン、5-アンドロステン-3β、17β-ジオール及びテストステロンの血中濃度が増大し、ついでこの上昇に続いて次の3日間の間にこれらのステロイドの周期性の減少及び血中の量の低下が生じた。・・・処理後4日目からさらに6日目までに正常値への回復が認められた。」(甲第3号証8頁11~19行)との記載があり(その詳細な結果は図1(甲第10号証16頁)に示されている。)、また、「前立腺癌をわずらっている男性の場合」として、「前立腺癌をわずらっている患者に、D Ser(tbu)6desGly10LH-RHエチルアミドを鼻内経路で500μgの薬用量で1日2回投与した。血漿中のステロイドのレベルの変化を観察した。・・・図2に示す結果が得られた。アンドロゲンステロイドの減少が認められる。例えば、テストステロン量は、2週間の処理中に非常に低いレベルに安定した。」(甲第3号証9頁9~17行)との記載があって、図2(甲第10号証17頁)には、アンドロゲンステロイド(テストステロン及びジヒドロテストステロン)が投与後に上昇し、その後に減少したが、特にテストステロンの量は投与後約6日間も上昇し、その後は処理前よりも非常に低いレベルで安定したことが示されている。また、本願明細書には、「このペプチドがこう丸レベルで直接作用することが可能である。」(甲第3号証4頁13行)、「前立腺癌の治療で得ることができる効果はこう丸ステロイドの産生レベルの変化及びこれらのステロイド間の量の比率の変化と結びついているものと思われる。さらに正確には、こう丸アンドロゲンの生合成及び分解の経路は式(Ⅰ)の化合物の投与によって変わるものと思われる。」(同頁15~19行)との記載がある。

本願発明の薬剤を健康な男性の場合には投与してから4日後にテストステロンの量が正常値に回復したのに対し、前立腺癌を患っている男性では2週間でテストステロンの量が処理前よりも非常に低いレベルで安定したことは、本願発明の薬剤が、単純な態様で睾丸ステロイドの分泌を抑制するのではなく、前立腺を患っている男性においては睾丸レベルで直接作用し得ることを示すものである。すなわち、この投与の実験とその結果を示す図1、2のグラフは、実質的に本願発明の薬剤の薬理データに相当するものであり、本願発明の薬剤が前立腺癌の治療に使用できることを示すものである。

ところで、審決は、審判体が「本願発明である『前立腺腺癌の治療用薬剤』の効果として、本願明細書に具体的に記載されているのは、『こう丸ステロイド発生に対する抑止活性の証明』と題して本願発明の薬剤を健康な男性と前立腺癌患者の男性に投与した場合の睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を測定した実験とその結果を示すグラフだけである。この実験結果は前立腺癌の治療効果を直接示す薬理データではない」(審決書3頁5~13行)との認識の下に、原告に対して発した「この実験結果だけで前立腺癌の治療効果が十分裏付けられるものかどうか」(同頁13~14行)との審尋書に対し、原告が「本願の優先権主張の日前においては抗男性ホルモン療法、即ち睾丸ステロイドの分泌を抑制することが前立腺癌の治療に有効であるとの事実が広く認識されていた」(同頁16~19行)、「睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を示すグラフを見た場合に、本願発明の薬剤が睾丸ステロイドの分泌を抑制することが明らかであって、これが前立腺癌に対して治療効果を有することは当業者には当然に認識できたことであり、本願発明の薬剤の典型的な睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を示すグラフは前立腺癌の治療効果を十分に証明するものである」(同3頁19行~4頁7行)との回答書を提出したことに基づいて、「本願発明の薬剤は、睾丸ステロイドの分泌抑制という効果を有するものであって、本願発明の薬剤の前立腺癌の治療効果は睾丸ステロイドの分泌抑制効果によって裏付けられるものであると認められる。」(同4頁7~11行)と認定した。

しかし、上記のように、明細書の図1、2のグラフは、実質的に本願発明の薬剤の薬理データに相当するものであり、本願発明の薬剤が前立腺癌の治療に使用できることを示すものであるから、審判体の認識自体が誤りであったし、また、原告の回答も、錯誤に基づく誤りであった。

すなわち、本願明細書に、従来技術に関し、「これまでに、抗アンドロゲン、エストロゲン、黄体ホルモン様物質の投与によって前立腺癌をわずらっている患者においてテストステロンのアンドロゲン様作用を減少させることが試みられてきた。

前立腺癌の典型的な治療は、LH(注、黄体形成ホルモン)の遊離を妨害するエストロゲンを投与することからなる。しかし、生体は逃避現象によってこの治療に順応してしまう。しかして、この治療の効果を保持するためには、薬用量を増大させることが必要である。ところが、多量のエストロゲンの投与は血管上の危険、即ち血栓症又はその他の血管合併症をもたらす。したがって、これまでに用いられた典型的な治療は大きな不都合がある。

別の治療学的手段は、抗アンドロゲンを投与することからなる。最初は、この抗アンドロゲンは、アンドロゲンステロイド受容体を妨害し、そして疾病のアンドロゲン依存性を減少させる。しかし、下垂体レベルでこれらの抗アンドロゲンとテストステロンとの間で競争が起り、これがLH及びFSH(注、卵胞刺激ホルモン)の放出に対してテストステロンにより生ずる抑止作用の増大を誘発させる。その結果、LH及びFSHの増加、したがってテストステロンの増加が生じる。そして投与した抗アンドロゲンは抹消アンドロゲン受容体を妨害するにはもはや十分でなくなる。

テストステロンの産生が徐々に増加することによって終了し、次いで所望の初期効果は抗アンドロゲンで中和される。したがって、抗アンドロゲンの投与による前立腺癌の治療は十分でない。

また、LHの放出をやはり妨害する黄体ホルモン様物質を投与することによってテストステロン量を制御することができる。しかし、これらの化合物は男性の場合には非常に活性が小さい。黄体ホルモン様物質は、上記の効果を、その使用にあたって利益をやはり制限するそのアンドロゲン成分によって主として生じさせる。」(甲第3号証4頁下から3行~5頁21行)との記載があることから、「本願の優先権主張の日前においては抗男性ホルモン療法、即ち睾丸ステロイドの分泌を抑制することが前立腺癌の治療に有効であるとの事実が広く認識されていた」との回答が誤りであることは明らかである。また、上述のように、本願明細書の図1、2には、本願発明の薬剤により単純に睾丸ステロイドの分泌の抑制が起こるのではなく、複雑な変化が生じていることが示されており、特に健康な男性と前立腺癌患者とで異なった現象が認められるから、「睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を示すグラフを見た場合に、本願発明の薬剤が睾丸ステロイドの分泌を抑制することが明らかであって、これが前立腺癌に対して治療効果を有することは当業者には当然に認識できた」との回答も誤りであり、さらに、本願発明の薬剤の治療効果を示す図2の睾丸ステロイドの血清中濃度を示すグラフは、本願において初めて前立腺癌患者について得られたグラフであるから、「本願発明の薬剤の典型的な睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を示すグラフは前立腺癌の治療効果を十分に証明するものである」との回答にも錯誤があった。

したがって、上記の原告の回答に基づいて、本願発明の薬剤の治療効果を認定することは誤りである。

(2)  他方、引用例〈1〉には、「抗男性ホルモン療法の現況」の項に「C、D(注、前立腺癌の病期分類)に対しては去勢、エストロゲン剤併用による抗男性ホルモン療法が施行されている.生存率は図2のごとくで、その予後は当初期待したほど良好ではない.」(甲第6号証748頁左欄7~10行)との、「抗男性ホルモン療法における内分泌環境の変動」の項に「エストロゲン剤は副腎皮質肥大を、また、去勢も同様代償による副腎性アンドロゲン分泌を促進、さらに両者はいずれも間脳・下垂体・副腎皮質系の不安定性を増し、ストレス時ステロイド分泌増加を来す.副腎性アンドロゲンが増悪、再燃の誘因と考えられている.」(同頁左欄19~24行)との、「前立腺癌組織アンドロゲン依存性の再検討」の項に「去勢、エストロゲン投与にても制癌効果が十分に発揮されない現象については、上述のごとく副腎性アンドロゲンに起因することも考えられるが、一方、癌組織のアンドロゲン依存性が予想より低いことも考えられる.・・・測定してみるに、正常組織に比べてかなり低値で、アンドロゲン依存性はやはり予想よりも低いことが判明している」(同頁左欄28~末行)との、さらに、「直接的制癌効果を期待した新しい抗男性ホルモン療法の開発」の項に「去勢は主要アンドロゲン分泌源を除去することにより前立腺癌組織の萎縮退行を計らんとするものである.また、エストロゲン投与はnegative feed back機構を介して睾丸アンドロゲン分泌低下を計るもので、いずれも間接的制癌効果をねらったものである.」(同頁右欄3~7行)との記載がある。ここで、negative feed back機構とは、ある生合成経路の最終産物の濃度が上がると、この産物が代謝経路上流の酵素活性を阻害し、フィードバックをかける現象をいう。性ホルモン系でいえば、男性ホルモンのアンドロゲン(主にテストステロン)と女性ホルモンのエストロゲン(主にエストラジオール)の分泌は、下垂体前葉から放出されるLHとFSHとを必要とし、LHとFSHの放出は、GnRH(ゴナドトロピン放出ホルモン)のパルス放出をする視床下部により順次制御されているところ、エストロゲンの濃度が上がるとGnRHの放出に負のフィードバックがかかり、LHとFSHの放出、ひいてアンドロゲンの分泌が低下するものである。

そして、上記の引用例〈1〉の記載によれば、引用例〈1〉には、エストロゲン剤を用いた抗男性ホルモン療法のみが記載され、そこでいう睾丸アンドロゲンの分泌低下とは、エストロゲンによる負のフィードバックの作用機序によるものを意味している、エストロゲン剤以外の物質によって負のフィードバック以外の作用機序により生じる睾丸アンドロゲンの分泌低下は、引用例〈1〉には記載されていない。すなわち、引用例〈1〉には、睾丸アンドロゲンの分泌を低下させる作用を有する薬剤のどれもが有効に前立腺癌の治療に使用できることが記載されているわけではないのである。しかも、引用例〈1〉には、エストロゲン剤を用いた抗男性ホルモン療法が満足できるものでないことが示唆されている。

(3)  そうすると、本願発明と引用例〈1〉記載のものとが「睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する、哺乳動物における前立腺癌の治療用薬剤である点」で一致するとした審決の一致点の認定は、引用例〈1〉に、エストロゲン剤を用いた抗男性ホルモン療法が満足できるものでないことが示唆されており、「睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する、哺乳動物における前立腺癌の治療用薬剤」が記載されているとはいえないから誤りである。

また、引用例〈1〉記載のエストロゲン剤が睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有するとしても、その作用機序が、本願発明のペプチドの作用機序とは異なる点において、本願発明と引用例〈1〉記載のものとが相違していることを看過したものである。

2  取消事由2(相違点の判断の誤り)「テストステロンはステロイドの一つで、睾丸で分泌される真性男性ホルモン(すなわちアンドロゲン)である・・・から、テストステロンは最も代表的な睾丸アンドロゲンであり、典型的な睾丸ステロイドである」(審決書7頁11~17行)こと、「引用例〈2〉、〈3〉には、引用例〈2〉のペプチド及び引用例〈3〉のペプチドが、最も代表的な睾丸アンドロゲンであるテストステロンの分泌低下作用を有することが記載されており、引用例〈2〉のペプチド及び引用例〈3〉のペプチドは、それぞれ、本願発明の式(Ⅰ)におけるX=Leu及びSer(tbu)に相当し、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドと化合物として同一であること」(同7頁下から3行~8頁5行)は認める。

審決は、本願発明と引用例〈1〉記載のものとの相違点である、「睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する薬剤として、本願発明は式(Ⅰ)のペプチドを用いるのに対し、引用例〈1〉に記載のものは具体的に式(Ⅰ)のペプチドが例示されていない」(審決書7頁3~7行)点につき、「引用例〈2〉、〈3〉のペプチドが睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する点に着目し、引用例〈2〉、〈3〉のペプチド、すなわち式(Ⅰ)のペプチドを、引用例〈1〉に記載の睾丸アンドロゲンの分泌低下作用を有する薬剤として前立腺癌の治療に用いてみることは当業者であれば容易に想到しうることと認められる。」(同8頁6~12行)と判断したが、誤りである。

すなわち、上述のとおり、引用例〈1〉には、むしろ睾丸アンドロゲンの分泌低下作用を有する薬剤の投与が、前立腺癌の治療に効果があるとはいえないことが記載されている。

また、引用例〈2〉には、引用例〈2〉のペプチドを6人の正常な性腺刺激性の男性に1日2回長期間にわたって皮下投与すると、LH及びFSHの分泌の低下とともにテストステロンの分泌の低下が認められたことが記載されているが、これは引用例〈2〉のペプチドを長期間皮下投与した場合の結果であり、引用例〈2〉には、該ペプチドを2人の正常な性腺刺激性の男性に長期間鼻内投与しても、テストステロン分泌の低下は認められなかった旨も記載されている。また、引用例〈3〉には、引用例〈3〉のペプチドを超生理学的量で、ヒトではなくラットに長期間にわたり投与したときの内分泌効果の評価が記載されているにすぎない。

これに対し、上記のとおり、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドは、これを前立腺癌患者に鼻内投与することによって、睾丸の部位で直接作用し得るものであり、このことは、本願発明の薬剤が前立腺癌の治療に使用できることを明確に示すものである。

そうすると、引用例〈1〉に睾丸アンドロゲンの分泌低下作用を有する薬剤が記載されていても、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドが上記のような特殊な作用機序により直接前立腺癌の治療に結びつくことが知られていないのに、引用例〈2〉、〈3〉のペプチド、すなわち本願発明の式(Ⅰ)のペプチドを前立腺癌の治療に使用することは、当業者であっても容易に想到し得るものということはできない。

3  取消事由3(作用効果の看過)

審決は、「睾丸ステロイドの分泌を抑制するという本願明細書から確認できる本願発明の効果は、引用例〈2〉、〈3〉の記載から予測しうる程度のものであり、また、本願発明の前立腺癌の治療効果も、回答書における請求人(注、原告)の回答内容に従えば、引用例〈1〉~〈3〉に記載の睾丸アンドロゲンの分泌低下作用から当然予測できる範囲のものであって、格別顕著なものとは認められない。」(審決書8頁13~末行)と認定したが、誤りである。

すなわち、本願発明の薬剤の効果は、睾丸ステロイドの分泌を単に抑制するというものではなく、上述のとおり、健康な男性と前立腺癌患者とでは全く異なった挙動により示されるようなものであり、このようなことは、引用例〈2〉、〈3〉の記載から容易に予測し得る程度のものではない。また、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドは、従来の抗男性ホルモン療法におけるような不都合を生じない顕著な効果を有するものである。

第4  被告の反論の要点

審決の認定・判断は正当であり、原告主張の取消事由は理由がない。

1  取消事由1(一致点の認定の誤り及び相違点の看過)について

(1)  原告は、本願明細書の記載及び図1、2にあるとおり、本願発明の薬剤を健康な男性の場合には投与してから4日後にテストステロンの量が正常値に回復したのに対し、前立腺癌を患っている男性では2週間でテストステロンの量が処理前よりも非常に低いレベルで安定したことが、本願発明の薬剤が、前立腺を患っている男性においては睾丸レベルで直接作用し得ることを示すものであり、本願発明の薬剤が前立腺癌の治療に使用できることを示すものであると主張するが、主張の健康な男性と前立腺癌を患っている男性とにおけるテストステロンの量の変化の対比結果から、何故に本願発明の薬剤が、前立腺を患っている男性においては睾丸レベルで直接作用し得ることが導き出せるのか、また、そのことが、どうして本願発明の薬剤が前立腺癌の治療に使用できることを示すものであるのかについては、従前知られていたことではなく、かつ、本願明細書に何ら具体的・合理的な説明があるものでもない。上記の具体的な説明がない以上、本願明細書の「このペプチドがこう丸レベルで直接作用することが可能である。」(甲第3号証4頁13行)との記載は根拠のないものといわざるを得ない。したがって、投与実験とその結果を示す図1、2のグラフが、実質的に本願発明の薬剤の薬理データに相当するものであるといえるものではないし、また、本願明細書の「前立腺癌の治療で得ることのできる効果はこう丸ステロイドの産生レベルの変化及びこれらのステロイド間の量の比率の変化と結びついているものと思われる。さらに正確には、こう丸アンドロゲンの生合成及び分解の経路は式(Ⅰ)の化合物の投与によって変わるものと思われる。」(同頁15~19行)との記載も、図1、2の実験結果から得られた具体的な事実を示すものとはいうことはできない。結局、本願発明の薬剤が前立腺癌の治療に使用できるとの原告主張は、アンドロゲン低下作用を有する化合物が前立腺癌治療に使用できる前能性があるとの従来周知の知見の範囲内においてのみ妥当するものであり、それを超えた本願発明のペプチド特有の顕著な効果があるとの部分は、本願発明の治療効果として確認することができないものである。

なお、以上のとおりであるから、審判体が「本願発明である『前立腺腺癌の治療用薬剤』の効果として、本願明細書に具体的に記載されているのは、『こう丸ステロイド発生に対する抑止活性の証明』と題して本願発明の薬剤を健康な男性と前立腺癌患者の男性に投与した場合の睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を測定した実験とその結果を示すグラフだけである。この実験結果は前立腺癌の治療効果を直接示す薬理データではない」(審決書3頁5~13行)との認識の下に、原告に対し審尋書を発したことにつき、審判体に認識の誤りはない。また、原告の回答書のうち、「本願の優先権主張の日前においては抗男性ホルモン療法、即ち睾丸ステロイドの分泌を抑制することが前立腺癌の治療に有効であるとの事実が広く認識されていた」との部分は、本願明細書に、従来技術に関して「これまでに、抗アンドロゲン、エストロゲン、黄体ホルモン様物質の投与によって前立腺癌をわずらっている患者においてテストステロンのアンドロゲン様作用を減少させることが試みられてきた。前立腺癌の典型的な治療は、LHの遊離を妨害するエストロゲンを投与することからなる。・・・別の治療学的手段は、抗アンドロゲンを投与することからなる。・・・したがって、効果的なホルモン療法を捜すこと、特にアンドロゲンの分泌を最大限に除去すること(切除以外の手段で)が有用であった。」(甲第3号証4頁下から3行~5頁25行)との記載と符合し、原告の錯誤を窺わせる点はないし、また、その余の部分についても、錯誤によるものと認めることはできないから、原告の回答書の内容を本願発明の薬剤の治療効果の認定に用いたことに誤りはない。

したがって、審決が、「本願発明の薬剤は、睾丸ステロイドの分泌抑制という効果を有するものであって、本願発明の薬剤の前立腺癌の治療効果は睾丸ステロイドの分泌抑制効果によって裏付けられるものであると認められる。」(審決書4頁7~11行)と認定したことに何らの誤りもない。

(2)  原告は、引用例〈1〉でいう睾丸アンドロゲンの分泌低下とは、エストロゲンによる負のフィードバック(negative feed back)の作用機序によるものを意味し、それ以外の作用機序により生じる睾丸アンドロゲンの分泌低下は、引用例〈1〉には記載されていないと主張するが、引用例〈1〉には、「C、D(注、前立腺癌の病期分類)に対しては去勢、エストロゲン剤併用による抗男性ホルモン療法が施行されている.」(甲第6号証748頁左欄7~8行)、「去勢は主要アンドロゲン分泌源を除去することにより前立腺癌組織の萎縮退行を計らんとするものである.」(同頁右欄3~4行)との記載があり、抗男性ホルモン療法として、負のフィードバック機構を介しアンドロゲン分泌低下の結果をもたらすエストロゲン剤投与と、これとは全く異なる機序でアンドロゲン分泌を抑制する結果をもたらす去勢とを併用することが記載されているのであるから、引用例〈1〉には、前立腺癌の治療には、負のフィードバック機構を介したアンドロゲン分泌低下作用だけが有効なのではなく、何らかの機序でアンドロゲンの分泌低下をもたらす手段であれば、前立腺癌の治療手段となる可能性があることが示されているといえる。引用例〈1〉の「エストロゲン投与はnegative feed back機構を介して睾丸アンドロゲン分泌低下を計るもので、いずれも間接的制癌効果をねらったものである.」(同頁右欄5~7行)との記載は、アンドロゲン分泌低下を引き起こす作用機序が、エストロゲン剤の場合には、負のフィードバック機構を介しているということを指摘したにすぎないもので、アンドロゲン分泌低下を引き起こすためには、負のフィードバック機構を介さなければならないという意味ではない。

また、引用例〈1〉には、上記のとおり、「C、Dに対しては去勢、エストロゲン剤併用による抗男性ホルモン療法が施行されている.」との記載があり、抗男性ホルモン療法が、これによって必ずしも十分な制癌効果が得られていないものの、実際に施行されている療法として記載されていることが明らかである。

(3)  したがって、本願発明と引用例〈1〉記載のものとが「睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する、哺乳動物における前立腺癌の治療用薬剤である点」で一致するとした審決の一致点の認定に誤りはなく、また、原告主張の相違点の看過もない。

2  取消事由2(相違点の判断の誤り)について

上述のとおり、引用例〈1〉には、抗男性ホルモン療法が実際に施行されている療法として記載されていること、引用例〈1〉における睾丸アンドロゲン分泌低下作用は、負のフィードバック機構を介した薬剤に限定されるものではないことと、引用例〈2〉、〈3〉には、引用例〈2〉のペプチド及び引用例〈3〉のペプチドが、最も代表的な睾丸アンドロゲンであるテストステロンの分泌低下作用を有することが記載されていることに照らして、「引用例〈2〉、〈3〉のペプチドが睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する点に着目し、引用例〈2〉、〈3〉のペプチド、すなわち式(Ⅰ)のペプチドを、引用例〈1〉に記載の睾丸アンドロゲンの分泌低下作用を有する薬剤として前立腺癌の治療に用いてみることは当業者であれば容易に想到しうることと認められる。」(審決書8頁6~12行)とした審決の判断に誤りはない。

原告は、引用例〈2〉のテストステロンの分泌の低下が引用例〈2〉のペプチドを長期間皮下投与した場合の結果であり、引用例〈2〉には、該ペプチドを長期間鼻内投与しても、テストステロン分泌の低下は認められなかった旨も記載されていると主張するが、同一の薬剤であっても、投与方法や投与量などにより、期待する薬効が得られたり、得られなかったりすることはあり得ることであり、ある投与方法及び投与量で期待する効果が得られた場合と、それとは異なる投与方法及び投与量で期待する効果が得られなかった場合とがある場合に、期待する効果が得られたという知見が、そのような効果が得られなかったという知見により影響を受けるものではない。

原告は、引用例〈3〉には、引用例〈3〉のペプチドをヒトではなくラットに長期間にわたり投与したときの内分泌効果の評価が記載されていると主張するが、医薬の研究開発においては、ラット等の実験動物で有効な化合物を探索することが広く行われているのであって、ラットについての研究結果は十分ヒトに対する薬剤の研究開発の参考になり得るのみならず、本願発明の薬剤は、本願発明の要旨に規定されるとおり、「哺乳動物」を対象とするものであるから、引用例〈3〉がラットについての研究結果が記載されていることが、上記審決の判断を誤りとするものではない。

3  取消事由3(作用効果の看過)について

原告は、本願発明の薬剤の効果は、睾丸ステロイドの分泌を単に抑制するというものではなく、健康な男性と前立腺癌患者とでは全く異なった挙動により示されるようなものであり、このようなことは、引用例〈2〉、〈3〉の記載から容易に予測し得る程度のものではないと主張するが、本願明細書に、本願発明の薬剤の主張のような挙動と前立腺癌の治療の有効性との関連性を合理的に説明する記載はなく、睾丸ステロイドの分泌を抑制するという以上の効果の具体的記載は認められない。また、原告は、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドが従来の抗男性ホルモン療法におけるような不都合を生じない顕著な効果を有するとも主張するが、具体的裏付けを欠くものである。

第5  当裁判所の判断

1  取消事由1(一致点の認定の誤り及び相違点の看過)について

(1)ア  本願明細書(甲第3号証)には、「本発明は、LH-RH又はLH-RHのアゴニストを使用する哺乳動物における前立腺の腺癌の新規な治療用薬剤に関する。」(同号証2頁12~13行)、「これまでに、抗アンドロゲン、エストロゲン、黄体ホルモン様物質の投与によって前立腺癌をわずらっている患者においてテストステロンのアンドロゲン様作用を減少させることが試みられてきた。

前立腺癌の典型的な治療は、LH(注、黄体形成ホルモン)の遊離を妨害するエストロゲンを投与することからなる。しかし、生体は逃避現象によってこの治療に順応してしまう。しかして、この治療の効果を保持するためには、薬用量を増大させることが必要である。ところが、多量のエストロゲンの投与は血管上の危険、即ち血栓症又はその他の血管合併症をもたらす。したがって、これまでに用いられた典型的な治療は大きな不都合がある。

別の治療学的手段は、抗アンドロゲンを投与することからなる。最初は、この抗アンドロゲンは、アンドロゲンステロイド受容体を妨害し、そして疾病のアンドロゲン依存性を減少させる。しかし、下垂体レベルでこれらの抗アンドロゲンとテストステロンとの間で競争が起り、これがLH及びFSH(注、卵胞刺激ホルモン)の放出に対してテストステロンにより生ずる抑止作用の増大を誘発させる。その結果、LH及びFSHの増加、したがってテストステロンの増加が生じる。そして投与した抗アンドロゲンは抹消アンドロゲン受容体を妨害するにはもはや十分でなくなる。

テストステロンの産生が徐々に増加することによって終了し、次いで所望の初期効果は抗アンドロゲンで中和される。したがって、抗アンドロゲンの投与による前立腺癌の治療は十分でない。

また、LHの放出をやはり妨害する黄体ホルモン様物質を投与することによってテストステロン量を制御することができる。しかし、これらの化合物は男性の場合には非常に活性が小さい。黄体ホルモン様物質は、上記の効果を、その使用にあたって利益をやはり制限するそのアンドロゲン成分によって主として生じさせる。

知られたホルモン治療の失敗に直面したときには、癌の典型的な化学療法(例えば抗核分裂)、放射線療法又は切除に頼ることになる。

したがって、効果的なホルモン療法を捜すこと、特にアンドロゲンの分泌を最大限に除去すること(切除以外の手段で)が有用であった。」(同4頁下から3行~5頁下から5行)、「本発明の主題は、有効量の式(Ⅰ)の化合物、さらに特定すれば有効量のD Ser(tbu)6des Gly10LH-RHエチルアミドを含有することを特徴とする前立腺の腺癌の治療用薬剤にある。」(同5頁下から3行~末行)との各記載があり、これらの記載によれば、本願発明の薬剤は、哺乳動物の前立腺癌に対する従前のホルモン療法であるエストロゲンの投与、抗アンドロゲンの投与及び黄体ホルモン様物質の投与がそれぞれ有する問題点を踏まえた、アンドロゲンの分泌を除去する効果的なホルモン療法に供することを目的とするものであると認められる(なお、テストステロンが最も代表的な睾丸アンドロゲンであり、典型的な睾丸ステロイドであることは当事者間に争いがない。)。

イ  本願明細書(甲第3号証)には、本願発明の薬剤の効果に関し、「年齢30~40才の健康良好な6人の男性に実験の3日目の0800時に2滴の蒸留水に入れた500μgのD Ser(tbu)6des Gly10LH-RHエチルアミド・・・を鼻内径路で投与した。この処理に先立つ2日間及びこの処理の後の6日間の間に、血液試料を毎日0800時、1500時及び2200時に採取した。LH-RHのアゴニストの投与の日にやはり血液試料を1100時及び1800時に採取した」(同号証7頁16~22行)との条件下で、ステロイドの血清中濃度を測定した結果を示す(同号証8頁5行)図1のグラフ(甲第10号証16頁)、及び「前立腺癌をわずらっている患者に、D Ser(tbu)6des Gly10LH-RHエチルアミドを鼻内経路で500μgの薬用量で1日2回投与した。・・・血液試料の採取及び定量は、上記のA)(注、前示の健康良好な男性の場合を示す。)に示すように実施した」(甲第3号証9頁10~13行)場合の測定結果を示す(同頁15行)図2のグラフ(甲第10号証17頁)が添付されており、図1のグラフの示すステロイド量の変化につき、「500μgのD Ser(tbu)6des Gly10LH-RHエチルアミドの鼻内投与は、ステロイドの量の日中周期性の変化を生じた。処理の日では、プレグネノロン、17-OHプレグネノロン、プロゲステロン、17-OHプロゲステロン、5-アンドロステン-3β、17β-ジオール及びテストステロンの血中濃度が増大し、ついでこの上昇に続いて次の3日間の間にこれらのステロイドの周期性の減少及び血中の量の低下が生じた。・・・処理4日目からさらに6日目までに正常値への回復が認められた。」(甲第3号証8頁11~19行)との、また、図2のグラフの示すステロイド量の変化については「アンドロゲンステロイドの減少が認められる。例えば、テストステロン量は、2週間の処理中に非常に低いレベルに安定した。」(同号証9頁9~17行)との各記載がある。そして、図1のグラフ(甲第10号証16頁)には、同記載のとおりの変化が示されており、図2のグラフ(同17頁)には、より具体的には、テストステロン及びジヒドロテストステロンの量が投与後に一旦上昇し、その後に減少したこと、テストステロンの量は投与後約5日間上昇し、その後減少して、投与後9~13日目は投与前よりも低いレベルで安定したことが示されている。

ところで、本願発明は医薬用途発明に該当するものであるところ、医薬用途発明においては、明細書の発明の詳細な説明中に、その薬理効果を十分に裏付ける具体的なデータ(薬理試験データ)が記載されているか、又は薬理試験データが十分に裏付けられない場合であっても、その医薬用途を包括的に説明する作用機序等が記載されていることが必要であるものと解される。

しかしながら、本願明細書(甲第3号証)には、前示の図1、2のグラフ以外に、かかる薬理試験データに当たるような記載はなく、また、図1、2のグラフにしても、前示のとおり、本願発明の薬剤を投与した後のテストステロン等の睾丸ステロイド(睾丸アンドロゲン)の血清中濃度の変化を表わすものであり、前立腺癌患者の睾丸アンドロゲン分泌が低下することが示されている限りで、前立腺癌治療に有効である可能性があることは示しているものの、癌組織の萎縮退行等、具体的な前立腺癌の治療効果が示されているものではないから、これをもって、前示薬理試験データに該当するものと認めることはできない。

この点につき、原告は、本願発明の薬剤を健康な男性の場合には投与してから4日後にテストステロンの量が正常値に回復したのに対し、前立腺癌を患っている男性では2週間でテストステロンの量が処理前よりも非常に低いレベルで安定したことが(但し、前示のとおり、テストステロンの量が処理前よりも低いレベルで安定したのは投与後9~13日目であると認められる。)、本願発明の薬剤が前立腺癌患者においては睾丸レベルで直接作用し得ることを示すものであって、図1、2のグラフは、実質的に本願発明の薬剤の薬理データに相当するものであり、本願発明の薬剤が前立腺癌の治療に使用できることを示すものであると主張する。そして、本願明細書(甲第3号証)には、「このペプチドがこう丸レベルで直接作用することが可能である。」(同号証4頁13行)、「本発明において式(Ⅰ)の化合物の作用機構について検討しようと望まないが、例えば前立腺癌の治療で得ることができる効果はこう丸ステロイドの産生レベルの変化及びこれらのステロイド間の量の比率の変化と結びついているものと思われる。さらに正確には、こう丸アンドロゲンの生合成及び分解の経路は式(Ⅰ)の化合物の投与によって変わるものと思われる。」(同頁14~19行)との原告主張に沿うかのような記載もあるが、いずれも、図1、2のグラフに示されたステロイド量の変化から、その記載内容を導き得る理由・根拠についての説明を欠くものであるうえ、その記載内容と前立腺癌の治療効果との具体的な結びつきの説明にも欠けるものであるから、図1、2のグラフに示された結果と相俟って、本願発明の薬剤の作用機序等、その医薬用途を包括的に説明する記載に当たるとすることはできない。本願明細書(甲第3号証)には、他に、健康な男性と前立腺癌患者とにそれぞれ図1、2のグラフに示されたような睾丸ステロイドの変化が見られたことと、本願発明の薬剤が前立腺癌患者において睾丸レベルで直接作用し得ることとの具体的な結びつきについても、前立腺癌患者において睾丸レベルで直接作用し得ることと前立腺癌の治療効果との具体的な関係についても何ら記載がないから、図1、2のグラフを実質的に本願発明の薬剤の薬理試験データに当たるものと認めることはできないし、また、前立腺癌治療に関して、本願発明の薬剤に、前立腺癌患者の睾丸アンドロゲン分泌を低下させるという以上に、原告主張のような何らかの特有の治療効果があることが示されているものと認めることもできない。

ウ  そうすると、本願明細書上、本願発明の薬剤は、その睾丸ステロイド(睾丸アンドロゲン)分泌低下の効果により、睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する化合物が前立腺癌治療に使用できる可能性があるとの従来周知の知見に基づいて、前立腺癌治療に有効である可能性が認められるに止まるというべきであるから、審決が、「本願発明の薬剤は、睾丸ステロイドの分泌抑制という効果を有するものであって、本願発明の薬剤の前立腺癌の治療効果は睾丸ステロイドの分泌抑制効果によって裏付けられるものであると認められる。」(同4頁7~11行)と認定したことに何ら誤りはない。

なお、原告は、審判体の審尋書に対する原告の回答書の「本願の優先権主張の日前においては抗男性ホルモン療法、即ち睾丸ステロイドの分泌を抑制することが前立腺癌の治療に有効であるとの事実が広く認識されていた」(審決書3頁16~19行)、「睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を示すグラフを見た場合に、本願発明の薬剤が睾丸ステロイドの分泌を抑制することが明らかであって、これが前立腺癌に対して治療効果を有することは当業者には当然に認識できたことであり、本願発明の薬剤の典型的な睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を示すグラフは前立腺癌の治療効果を十分に証明するものである」(同3頁19行~4頁7行)との記載が、原告の錯誤による誤りであると主張するが、該回答書の内容は前示アで認定した本願明細書の記載及び前示イで認定した本願発明の薬剤の効果に概ね符合するものであって、それが錯誤に基づくものとは認め得ない。

仮に、該回答書の記載が原告の真意に沿うものでなかったとしても、「本願発明の薬剤は、睾丸ステロイドの分泌抑制という効果を有するものであって、本願発明の薬剤の前立腺癌の治療効果は睾丸ステロイドの分泌抑制効果によって裏付けられるものであると認められる」ことは、該回答書の記載によらなくとも、本願明細書の記載に基づいてこれを認定し得ることは前示のとおりであるから、審決の前示認定に誤りはない。

(2)  引用例〈1〉に、「前立腺癌に対して去勢、エストロゲン剤併用による抗男性ホルモン療法が施行されていること、去勢は主要アンドロゲン分泌源を除去することにより、エストロゲン剤投与はnegative feed back機構を介して睾丸アンドロゲン分泌低下を計ることにより制癌効果をねらったものであること・・・が記載されている」(審決書4頁17行~5頁3行)ことは当事者間に争いがない。

原告は、引用例〈1〉でいう睾丸アンドロゲンの分泌低下とは、エストロゲン剤による負のフィードバック(negative feed back)の作用機序によるものを意味し、それ以外の作用機序により生ずる睾丸アンドロゲンの分泌低下は、引用例〈1〉には記載されていないと主張するが、前示のとおり、引用例〈1〉には、負のフィードバックの作用機序によりアンドロゲン分泌低下をもたらすエストロゲン剤の投与のほかに、主要アンドロゲン分泌源を除去することによりアンドロゲン分泌の抑制をもたらす去勢がエストロゲン剤投与と併用されることが記載されているのであるから、原告の該主張が誤りであることは明らかであり、引用例〈1〉には、負のフィードバック機構を介したアンドロゲン分泌低下作用だけではなく、何らかの機序でアンドロゲンの分泌低下をもたらす手段であれば、前立腺癌の治療手段となる可能性があることが記載されていると認められる。

また、原告は、引用例〈1〉には、エストロゲン剤を用いた抗男性ホルモン療法が満足できるものでないことが示唆されているとも主張するが、そうであるとしても、引用例〈1〉に、前立腺癌に対する抗男性ホルモン療法が実際に施行されている旨が記載されていることは前示のとおりである。

(3)  そうすると、本願発明と引用例〈1〉記載のものとが「睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する、哺乳動物における前立腺癌の治療用薬剤である点」で一致するとした審決の一致点の認定に誤りはない。

また、本願明細書上、本願発明の薬剤に、前立腺癌患者の睾丸アンドロゲン分泌を低下させるという以上に、何らかの特有の治療効果があることが示されているものと認めることができないことは前示のとおりであるから、審決に原告主張の相違点の看過があるものと認めることはできない。

2  取消事由2(相違点の判断の誤り)について

引用例〈2〉に、引用例〈2〉のペプチドを「生殖期の男性に1日2回皮下注射すると、2~4週間後にテストステロン基底(basal)分泌の顕著な低下が観察されたこと・・・が記載されている」(審決書5頁17~末行)こと、引用例〈3〉に、引用例〈3〉のペプチドの「ラットの生殖機能に対する効果を検討したところ、引用例〈3〉のペプチドの生理学的量以上の投与によって、テストステロンの分泌が最初上昇した後、血漿及び睾丸中のテストステロン濃度を低下させると共に前立腺と性嚢の重量を減少させることができたことが記載されている」(同6頁6~12行)こと、「引用例〈2〉、〈3〉には、引用例〈2〉のペプチド及び引用例〈3〉のペプチドが、最も代表的な睾丸アンドロゲンであるテストステロンの分泌低下作用を有することが記載されており、引用例〈2〉のペプチド及び引用例〈3〉のペプチドは、それぞれ、本願発明の式(Ⅰ)におけるX=Leu及びSer(tbu)に相当し、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドと化合物として同一であること」(同7頁下から3行~8頁5行)は、いずれも当事者間に争いがない。

そして、引用例〈1〉にエストロゲン剤を用いた抗男性ホルモン療法が満足できるものでないことが示唆されているとしても、前立腺癌に対する抗男性ホルモン療法が実際に施行されている旨が記載されていることは前示のとおりである。また、引用例〈2〉(甲第7号証)には、「我々は、我々が処置のために提案した薬量範囲内でD-Leu6-des-Gly10-GnRH-エチルアミドについて所見をチェックした。6人の正常性腺刺激性のヒトの男性においては、・・・標準薬量のGnRHに対する黄体形成ホルモン及び卵胞刺激ホルモンの応答性の大きな低下並びにテストステロン基底分泌の大きな低下が観察された。2人の正常性腺刺激性の男性においては、これらの効果は50μgの該物質を4週間鼻内投与しても観察できなかった。」(同号証訳文1頁10~18行)との記載があり、引用例〈2〉のペプチドを正常性腺刺激性の男性に4週間鼻内投与した場合には、テストステロン基底分泌の大きな低下が観察されなかったことが示されているが、右の場合に偶々そのような知見があったからといって、引用例〈2〉のペプチドを皮下注射した場合にテストステロン基底分泌の顕著な低下という効果が生じたこと、すなわち、引用例〈2〉のペプチドがテストステロンの分泌低下作用を有すること自体が否定されるものでないことは明らかである。さらに、引用例〈3〉は、引用例〈3〉のペプチドのラットの生殖機能に対する効果が記載されているものであるが、医薬の研究開発において、ラット等の実験動物で有効な化合物を探索することが広く行われており、ラットについての研究結果が、程度の差はあっても、ヒトに対する薬剤の研究開発の参考となり得ることは公知の事実というべきである。

そうすると、引用例〈2〉、〈3〉に、引用例〈2〉、〈3〉のペプチド、すなわち、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドと化合物として同一であるものが睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有することが記載されているのであるから、この点に着目して、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドを、引用例〈1〉記載の睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する前立腺癌の治療用薬剤として用いてみることは、当業者であれば容易に想到し得るところであると認められ、前示の引用例〈1〉に抗男性ホルモン療法が満足できるものでないことが示されていること、引用例〈2〉に、引用例〈2〉のペプチドを鼻内投与した場合にはテストステロン低下が観察されなかったことが示されていること、引用例〈3〉がラットの生殖機能に対する効果が記載されたものであることは、右適用を妨げるものということはできない。

したがって、審決の相違点の判断に誤りはない。

なお、原告は、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドは、前立腺癌患者に鼻内投与することによって睾丸の部位で直接作用し得るものであり、このことは、本願発明の薬剤が前立腺癌の治療に使用できることを明確に示すものであるから、式(Ⅰ)のペプチドがそのような特殊な作用機序により直接前立腺癌の治療に結びつくことが知られていないのに、引用例〈2〉、〈3〉のペプチド、すなわち本願発明の式(Ⅰ)のペプチドを前立腺癌の治療に使用することは、当業者であっても容易に想到し得るものということはできないとも主張するが、式(Ⅰ)のペプチドが睾丸の部位で直接作用し得るものであり、そのような特殊な作用機序により直接前立腺癌の治療に結びつくことを認め得ないことは前示のとおりであるから、原告のこの主張も採用し得ない。

3  取消事由3(作用効果の看過)について

原告は、本願発明の効果が格別顕著なものとは認められないとした審決の認定に対し、本願発明の薬剤の効果は、健康な男性と前立腺癌患者とでは全く異なった挙動により示されるようなものであり、このようなことは、引用例〈2〉、〈3〉の記載から容易に予測し得る程度のものではないし、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドは、従来の抗男性ホルモン療法におけるような不都合を生じない顕著な効果を有するものであると主張する。

しかし、本願明細書に、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドの投与後、健康な男性と前立腺癌患者とにそれぞれ図1、2のグラフに示されたような睾丸ステロイドの変化が見られたことと、前立腺癌の治療効果との具体的な関係について何らの記載もなく、結局、本願発明の薬剤の前立腺癌の治療効果は、従来周知の睾丸ステロイドの分泌抑制効果に基づくものに止まるものであると認められることは前示のとおりであるから、原告の主張は採用し得ず、審決の該認定に誤りはない。

4  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由は理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための付加期間の指定につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条、96条2項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)

平成7年審判第1905号

審決

フランス国75007パリ、プルバール・デ・ザンバリッド35

請求人 ルセルーユクラフ

東京都中央区日本橋3-13-11 油脂工業会館内

代理人弁理士 倉内基弘

平成3年特許願第260467号「LH-RH又はアゴニストを用いる新規な治療用薬剤」拒絶査定に対する審判事件(平成5年1月19日出願公開、特開平5-9129)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

1.手続きの経緯、本願発明の要旨

本願は、昭和55年9月19日(優先権主張1979年9月21日、仏国)に出願した特願昭55-129369号の一部を昭和60年9月18日に特許法第44条第1項の規定により分割して新たな特許出願としたものである特願昭60-204579号の一部を、さらに平成3年9月12日に同じく分割して新たな特許出願としたものであって、その発明の要旨は、平成7年3月1日付けの手続補正書により補正された明細書及び図面(以下、本願明細書という)の記載からみて、その特許請求の範囲第1項に記載された次のとおりのものと認める。

「次式(Ⅰ)

p-Glu-His-Trp-Ser-Tyr-X-Y-Arg-Pro-Z

(Ⅰ)

[ここで、Z=-NH-C2H5

Y=Leu

X=D Trp、D Leu、D Ala、D Ser(tbu)、D Tyr、D Lys又はAla]

のペプチドを有効成分として含有することを特徴とする、哺乳動物における前立腺腺癌の治療用薬剤。」

そして、本願発明である「前立腺腺癌の治療用薬剤」の効果として、本願明細書に具体的に記載されているのは、「こう丸ステロイド発生に対する抑止活性の証明」と題して本願発明の薬剤を健康な男性と前立腺癌患者の男性に投与した場合の睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を測定した実験とその結果を示すグラフだけである。この実験結果は前立腺癌の治療効果を直接示す薬理データではないので、この実験結果だけで前立腺癌の治療効果が十分裏付けられるものかどうか当審において審尋書を発したところ、請求人は審尋書に対する回答書において、「本願の優先権主張の日前においては抗男性ホルモン療法、即ち睾丸ステロイドの分泌を抑制することが前立腺癌の治療に有効であるとの事実が広く認識されていた」「睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を示すグラフを見た場合に、本願発明の薬剤が睾丸ステロイドの分泌を抑制することが明らかであって、これが前立腺癌に対して治療効果を有することは当業者には当然に認識できたことであり、本願発明の薬剤の典型的な睾丸ステロイドの血清中濃度の変化を示すグラフは前立腺癌の治療効果を十分に証明するものである」旨回答している。したがって、本願発明の薬剤は、睾丸ステロイドの分泌抑制という効果を有するものであって、本願発明の薬剤の前立腺癌の治療効果は睾丸ステロイドの分泌抑制効果によって裏付けられるものであると認められる。

2.引用例

これに対して、原査定の拒絶理由に引用された、「ホルモンと臨床」1977増刊号下巻(昭和52年3月発行)748-750頁、(以下、引用例〈1〉という)には、前立腺癌に対して去勢、エストロゲン剤併用による抗男性ホルモン療法が施行されていること、去勢は主要アンドロゲン分泌源を除去することにより、エストロゲン投与はnegative feed back機構を介して睾丸アンドロゲン分泌低下を計ることにより制癌効果をねらったものであること(748頁)が記載されている。つまり、引用例〈1〉には、睾丸アンドロゲンの分泌を低下させる作用を有する薬剤の投与により前立腺癌に対して制癌効果が期待できること、すなわち、睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する薬剤を前立腺癌の治療に用いることが記載されているものと認められる。

同じく引用された「Fertility and Sterility, Vol.30,No.6、1978、674-678頁」(以下、引用例〈2〉という)には、ゴナドトロピン放出ホルモン(GnRH、LHRHと同じ)類似体の長期間投与におけるゴナドトロピン分泌についての研究において、D-Leu6-des-Gly10-GnRH-エチルアミド(すなわちp-Glu-His-Trp-Ser-Tyr-Leu-Leu-Arg-Pro-NH-C2H5、以下、引用例〈2〉のペプチドという)を生殖期の男性に1日2回皮下注射すると、2~4週間後にテストステロン基底(basal)分泌の顕著な低下が観察されたこと(674頁)が記載されている。

同じく引用された「Acta endocrinologica Supplementum 208、1977、33頁」(以下、引用例〈3〉という)には、D-Ser(TBU)6LHRH-ノナペプチドーエチルアミド(すなわちp-Glu-His-Trp-Ser-Tyr-Ser(TBU)-Leu-Arg-Pro-NH-C2H5、以下、引用例〈3〉のペプチドという)のラットの生殖機能に対する効果を検討したところ、引用例〈3〉のペプチドの生理学的量以上の投与によって、テストステロンの分泌が最初上昇した後、血漿及び睾丸中のテストステロン濃度を低下させると共に前立腺と精嚢の重量を減少させることができたことが記載されている。

3.対比

そこで、本願発明と引用例〈1〉に記載のものを対比すると、引用例〈1〉に記載の「睾丸アンドロゲン」は、”睾丸から分泌される男性ホルモン(アンドロゲン)”の意味であって、本願発明の「睾丸ステロイド」とほぼ同義であり、引用例〈1〉に記載のものも当然ヒトを治療対象とするものであるから、本願発明と引用例〈1〉に記載のものとは、睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する、哺乳動物における前立腺癌の治療用薬剤である点で一致し、睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する薬剤として、本願発明は式(Ⅰ)のペプチドを用いるのに対し、引用例〈1〉に記載のものは具体的に式(Ⅰ)のペプチドが例示されていない点で相違する。

4.当審の判断

そこで、上記相違点について検討する。

ところで、テストステロンはステロイドの一つで、睾丸で分泌される真性男性ホルモン(すなわちアンドロゲン)である(「化学大事典6」縮刷版第1刷、1968年12月15日発行、共立出版、74頁、参照)から、テストステロンは最も代表的な睾丸アンドロゲンであり、典型的な睾丸ステロイドである。

そして、引用例〈2〉、〈3〉には、引用例〈2〉のペプチド及び引用例〈3〉のペプチドが、最も代表的な睾丸アンドロゲンであるテストステロンの分泌低下作用を有することが記載されており、引用例〈2〉のペプチド及び引用例〈3〉のペプチドは、それぞれ、本願発明の式(Ⅰ)におけるX=Leu及びSer(tbu)に相当し、本願発明の式(Ⅰ)のペプチドと化合物として同一であることが明らかである。

してみると、引用例〈2〉、〈3〉のペプチドが睾丸アンドロゲン分泌低下作用を有する点に着目し、引用例〈2〉、〈3〉のペプチド、すなわち式(Ⅰ)のペプチドを、引用例〈1〉に記載の睾丸アンドロゲンの分泌低下作用を有する薬剤として前立腺癌の治療に用いてみることは当業者であれば容易に想到しうることと認められる。

そして、睾丸ステロイドの分泌を抑制するという本願明細書から確認できる本願発明の効果は、引用例〈2〉、〈3〉の記載から予測しうる程度のものであり、また、本願発明の前立腺癌の治療効果も、回答書における請求人の回答内容に従えば、引用例〈1〉~〈3〉に記載の睾丸アンドロゲン分泌低下作用から当然予測できる範囲のものであって、格別顕著なものとは認められない。

なお、請求人は審判請求理由書において、「本願発明は、単にテストステロンの分泌低下だけではなくて、種々の睾丸ステロイドの分泌の周期性の変化及び量の低下を生じること並びに非常に緩慢な程度までの減少にすぎないことを見い出したのであって、これらの変化が前立腺癌の治療において得られる効果と結びついているという知見に基づいているのである。ホルモンバランスにこのようなインパクトを与える物質が前立腺癌の治療に有効であることは驚くべきことであった。」と主張しているが、本願明細書には「前立腺癌の治療で得ることができる効果はこう丸ステロイドの産生レベルの変化及びこれらのステロイド間の量の比率の変化と結びついていると思われる」なる単なる推測が記載されているのみで、前立腺癌の治療効果との結びつきを裏付ける記載は認められない。そして、請求人が主張するようなホルモンパランスにインパクトを与えることと前立腺癌の治療効果との関連性を確認できる証拠も何ら示されておらず(審尋書に対する回答書に添付された参考資料1は、前立腺癌はその発生、進展、治療に諸種のホルモンが関与していることが記載された文献に過ぎない)、請求人の主張は採用できない。

5.むすび

以上の通りであるから、本願発明は、引用例〈1〉~〈3〉に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法29条第2項の規定により特許を受けることができない

よって、結論のとおり審決する。

平成8年9月18日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

請求人 被請求人 のため出願期間として90日を附加する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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